1948-12-12 第4回国会 衆議院 不当財産取引調査特別委員会 第4号
○梶川委員 それは大野幹事長から、多過ぎるから、前に五十万円出ているからもうこれでよいと言つて、君が使えと言われたという氣持はよくわかるのですが、そのときにやはり、総裁の方に一旦礼状を出してもらつて、どうもぐあいが惡いというふうにはお考えにならなかつたのですか。
○梶川委員 それは大野幹事長から、多過ぎるから、前に五十万円出ているからもうこれでよいと言つて、君が使えと言われたという氣持はよくわかるのですが、そのときにやはり、総裁の方に一旦礼状を出してもらつて、どうもぐあいが惡いというふうにはお考えにならなかつたのですか。
○梶川委員 大野幹事長に相談されたときに大臣は、大体五十万円という話だつたと言われるのですが、それは選挙の資金として五十万円出すように話されたのですか、どうですか。
そこであなたもそうであつたので、その後これを大野幹事長にお話になつた。そうするとこれがあなた個人が使えるようになつたのは大野幹事長の話によつて、あなたとの話合いで、そのときからお二人の間だけでこれが個人の金になつておるわけですね。
○倉石證人 植原氏から当時の大野幹事長に渡したということですか。
○淵上證人 さあ、大野幹事長が特に反対したということはまだ記憶がありません。党議としては反対の態度をとつておつたので、幹事長でありますから、その幹事長としての行動はしておつたか知れませんが、特に当時の幹事長大野氏が反対の積極的な單独の運動をしたかどうか、そんなことはないと思いますが……。
次に自由党、民主党、社会党と並べまして、自由党の下には大野幹事長と書きまして金一百五十万円、民主党地崎幹事長と書いて金一百五十万円、社会党西尾書記長と書いて金五十万円、これは多分配付先を意味しておるのだろうと思います。その次に一、芦田均氏について。監査役就任昭和二十一年六月、監査役退任昭和二十二年六月ということになつております。
そういう意味において正式に届出されておるところの大野幹事長時代における使途その他についての問題と、この問題を同一視しすることは絶対に私は問題が違うと確信するものでありまして、どうしてもこれは証言していただかなければならないと主張する次第であります。
○飯田証人 大野幹事長に渡しました。
中曽根氏は大野幹事長の手もとへ党の費用として二百万円献金をするからどうか公認にしてくれと頼んできたが、私どもはその公認選考の席上で、しかも東京支部幹事長として断乎として排撃した。尾崎嘉之助氏も私は公認ではいけない。これはやめてもらおうと言つて、がんとして受付けなかつた。いわゆる中曽根幾太郎氏は非公認であります。
そして昨日の四党幹事長会談で明らかになつたことは、民主党並びに國協党は挙國的な政権、自由党は民主党、國協党からの質問に対して、大野幹事長としては、單独内閣、場合によれば解散、総裁の意見を想像すると、なるべく解散を避け、連立を欲している。但しその連立は保守連合であろうと大野氏は言うておられました。
しかし、それはどういうところに國管をもつていくか、その産業はといえば、それは石炭の管理だということは、これは大野幹事長もお立合いになつて、よくお承知のはずです。